代々物好き

普段は真面目で優しいブログ

古建築巡り 盛岡市

盛岡駅周辺は二度の空襲を受けたが、それ以外の地域では古い建物が残る。

撮影:令和2年9月

 

f:id:IBRG_modeling:20210420231905j:plain

日本聖公会盛岡聖教会

昭和4年築のRC造である。地方都市に建てられた昭和初期のプロテスタント系教会でよく見られた形だ。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210420232321j:plain

桜城小学校旧玄関

明治41年築の木造校舎を玄関部分のみ保存してある。校舎は昭和57年から59年にかけて解体された。

 

f:id:IBRG_modeling:20210420233322j:plain

旧ライト写真館

昭和初期の築。連窓と急な三角屋根が目を引く。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210420233728j:plain

佐藤写真館

昭和初期の築。こちらは今も営業している。旧ライト写真館の向かいにある。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210420234159j:plain

岩手医科大学1号館

大正15年に岩手病院として建設された。設計者は葛西萬司(かさい まんじ)。盛岡の出身で明治36年辰野金吾とともに辰野葛西設計事務所を設立した。その頃設計したのが、皆さんご存じ東京駅である。

4階部分の増築では飽き足らず、玄関ポーチの上にまで増築している。いずれキャンパスの再開発が行われるが、1号館は保存されるようだ。

 

f:id:IBRG_modeling:20210420235423j:plain

同・2号館

昭和7年築で、やはり葛西の設計。病院は機能優先だからかもしれないが、地味なビルだ。

 

f:id:IBRG_modeling:20210420235845j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210421000055j:plain

岩手県公会堂

昭和2年に建てられた。設計者は佐藤功一。昭和初期に数多くのオフィスビル、庁舎、公共施設を設計した。ゴシック調の外観は昭和4年築の日比谷公会堂市政会館に通ずるものを感じる。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210421115902j:plain

旧井弥商店

明治44年頃に建てられた土蔵造の商家。背後には江戸期築の土蔵もある。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210421120631j:plain

菊の司酒造

元和年間に創業した岩手県最古の酒造会社だが、建物は現在地に移転した大正期のもの。

 

f:id:IBRG_modeling:20210421121037j:plain

紺屋町番屋

大正2年築の消防組事務所。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210421134802j:plain

ござ九・森九商店

江戸後期と明治期の建物が並んでおり、写真は明治期に建設された部分。防火性を高めるために壁は一部煉瓦になっている。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210421135316j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210421135229j:plain

盛岡信用金庫本店

葛西萬司の設計で昭和2年築。当初は盛岡貯蓄銀行といった。トスカナ式オーダーを並べた、銀行らしい銀行だ。外装はよく原型をとどめている。電線がかぶってしまうのが惜しい。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210421210834j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210421210909j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210421211049j:plain

岩手銀行赤レンガ館

明治44年に盛岡銀行本店として建設された辰野葛西建築設計事務所の作品。赤煉瓦に花崗岩の帯を加えたデザインはまさに辰野の作風である。盛岡銀行は昭和8年に潰れてしまい、岩手銀行の前身である岩手殖産銀行昭和11年にこの建物を取得して本店を置いた。本店移転後は平成24年まで中ノ橋支店として使われた。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210421213402j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210421213834j:plain

もりおか啄木・賢治青春館

明治43年築の旧第九十銀行本店。設計者の横濱勉は盛岡市出身で、現存作品はほとんど無いようだ。煉瓦造で外壁にはタイルが貼られている。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210424233715j:plain

東北総業事務所

明治45年築。盛岡の豪商・工藤勝四郎の事務所だった建物。以前は左横に木造モルタル塗の洋館があった。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210816233047j:plain

旧石井県令私邸

県令・石井省一の私邸として明治19年に建設された。盛岡市現存最古の洋風建築。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210816233621j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210816233644j:plain

南昌荘

荒川鉱山の経営者である瀬川安五郎の自邸として明治18年に建てられたものが元となっている。所有者を転々としており、盛岡銀行経営者の金田一勝定が取得した明治43年頃に増改築がなされた。洋風の門柱はいつ頃のものだろうか。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210816234933j:plain

旧宣教師館

大正9年築の煉瓦造の洋館。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210817001059j:plain

船山内科クリニック

大正期の築と伝わる内科医院。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210817001320j:plain

小原写真館

大正~昭和初期の築か。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210816235931j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210816235945j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210817000113j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210817000139j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210817000241j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210817000508j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210817000550j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210817000758j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210817001003j:plain

その他、盛岡の建物。








 

古建築巡り 潟上市

潟上市は3つの町が合併して平成17年に発足した。

撮影:令和2年8月

 

f:id:IBRG_modeling:20210403181957j:plain

小玉醸造明治40年に設立され、大正期までに大きな煉瓦蔵をいくつか建設した。

f:id:IBRG_modeling:20210403182320j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210403182500j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210403182633j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210403182703j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210403182835j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210403183026j:plain

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210403183215j:plain

小玉家住宅。小玉醸造創業家の邸宅で大正12年の築。主屋の他に土蔵造の文庫蔵や煉瓦造の米蔵、車庫が確認できる。

f:id:IBRG_modeling:20210403183101j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210403183820j:plain

 

古建築巡り 酒田市その2

撮影:令和2年7月、

f:id:IBRG_modeling:20210403172016j:plain

山居倉庫明治26年に14棟が建設され12棟が現存する。現役の米穀倉庫として使われているほか、一部が商業施設に改修された。

f:id:IBRG_modeling:20210403172716j:plain

管理棟か?

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210403173043j:plain

庄内経済連米穀保管研究室。山居倉庫に隣接する小さな洋館で、東宮殿下行啓記念館として建てられた。ツタで分かりづらいが2階はドイツ壁。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210403173524j:plain

酒田市水道局ポンプ室。撮影時は解体される直前で10月に通りがかった時には更地になっていた。切妻屋根だが戦前に建てられた水道局の建屋は、ほとんど煉瓦かRCだから木造ということは無いと思う。一番手前の消火栓は相当古そうだがどうなったのだろう?

f:id:IBRG_modeling:20210403174525j:plain

付属施設。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210403175122j:plain

東北東ソー化学。前身を鐵興社といい、昭和12年に大浜工場を開設した。事務所、守衛所などが開設当初からある建物だと思う。

f:id:IBRG_modeling:20210403175005j:plain

守衛所。

f:id:IBRG_modeling:20210403180012j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210403180034j:plain

f:id:IBRG_modeling:20210403180121j:plain

 

えんとつ町のプペル 海外の反応まとめ

 

 

Chimney town gay boy Lubitsch(アメリカ 20代 男性)

 

 

ここで申し上げる話ではありません 今日は大変いい天気です(東京 70代 男性)

 

 

ニシノハワタシノチンコヲシャブルタメニ、ウマレタトオモウ(ミッドガル20代 男性)

 

 

プペルもベクレてるんやろなぁ(東京40代 男性)

 

 

ルビッチよ地球が救えねば雅子愛子も死ぬんだぞ(東京 70代 男性)

 

 

Anime🤮(オーストラリア 30代 女性)

 

 

一体、大声で、泣いちゃった。(東京 20代 男性)

 

 

ルビッチは前田五郎に、プペルは島田洋七に似ているように思う。いや、私の感性には外れが多いので、全くの見当違いかも知れません。悪しからず。(オマーン 50代 男性)

 

 

えんとつ町のプペルの絵本を考案し題名主題歌を作詞作曲したのは私です(和歌山 70代 女性)

 

 

20代の頃、吉本興業の夕食会に参加したことがあったんです。そこで、西野亮廣氏から「お前から全てを奪い取る」と言われたんです。そして、彼は本当にそれを目指しているとしか思えないんですよね。さすがに私は腹を立て、対抗手段に出ました。それが今日の、私と西野氏との闘いの本筋ですね(福岡 40代 男性)

 

 

プペさん肝いわあん(コンゴ 30代 男性)

 

 

えんとつ町に来たことを後悔するようになればいい(岡山 50代 男性)

 

 

80プペしないと、あん、ご褒美はないんだぞ?(フィリピン 50代 男性)

 

 

オンラインサロンありえない話し‼️何考えてる日本人⁉️(モンゴル 40代 男性)

 

 

それでえんとつ町のプペルが縛られて犯されちゃうんだ(東京 40代 男性)

 

 

 

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210130192923j:image

如何でしたか?西野亮廣監督の次回作をケツマンおっぴろげて神妙に待ちましょう‼️

 

 

 

古建築巡り 酒田市その1

酒田駅前には戦前の面影がほとんど残っていないが、日和山周辺は移築されたものも含め、近代建築が点在する。

撮影:令和2年7月 

 

f:id:IBRG_modeling:20210129175008j:plain

酒肴屋伊藤家。琢成第一尋常小学校の「郷土よみもの」から「犬が引き出す「エンヤラヤ」」 : あなたの知らない過去の酒田 (Unknown Old Sakata)昭和8年5月発行の「酒田市勢要覧」の写真に写ったこの洋館を見ることができる。以前は韓国料理店が入っていた。

 

f:id:IBRG_modeling:20210129181334j:plain

山王くらぶ。明治28年に建てられた料亭で、社員寮として使われていた時期もあるという。主に工芸品を展示する施設として公開されている。

f:id:IBRG_modeling:20210129181801j:plain

外装は純和風だから内装も...と思っていたら一部の廊下は洋風になっていた。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210129211337j:plain

旧光丘文庫。酒田市初のコンクリートブロック建築で大正14年の築。設計は内務省神社局建築課長の角南隆だ。震災復興事業で東京市のRC社殿などを手がけていたのだろう。平成29年まで図書館として使われていた。収蔵資料は全て移設されたようだが建物の処遇は決まっていない。このまま腐らせるのは惜しいと思うが。

f:id:IBRG_modeling:20210129212614j:plain

書庫が付属する。

 

f:id:IBRG_modeling:20210129212912j:plain

初代酒田灯台明治28年に初点灯した木造六角洋式灯台で、当初は最上川左岸河口にあった。大正2年に対岸に移築、昭和33年に建て替えが決まり日和山公園に再度移築された。

 

f:id:IBRG_modeling:20210129215024j:plain

旧白崎医院。このような下見板張りの医院は昭和後期までありふれていたようだが今となっては貴重だ。昭和51年の酒田大火を逃れたという意味でも価値のある建築だ。大正8年築の洋館で、昭和55年に現在地に移築された。

f:id:IBRG_modeling:20210129220003j:plain

外科医院なので手術室がある。

f:id:IBRG_modeling:20210129220137j:plain

便所のある別棟。

 

 

f:id:IBRG_modeling:20210129220624j:plain

旧割烹はら。原ゴム工業所 : あなたの知らない過去の酒田 (Unknown Old Sakata)によれば、昭和6年以前に原ゴム工業所として建てられたRC建築だという。割烹に転業した時期は不明。4階建てだから眺めは良かっただろう。

 







 

古建築巡り 五城目町

五城目町の朝市通りとその周辺には、小規模な洋風建築や看板建築が現存する。訪問日は朝市が開催されていた。

撮影:令和2年7月

 

f:id:IBRG_modeling:20201214113954j:plain

福禄寿酒造。創業は元禄元年という歴史のある酒蔵で、現在の社屋は大正14年に建てられた。木造平屋で塀は煉瓦造。酒蔵はもっと古いはずだ。

f:id:IBRG_modeling:20201214114808j:plain

向かいにあるタイル張りの建物。旧店舗か?

f:id:IBRG_modeling:20201214113251j:plain

少し離れたところにあるイギリス積の煉瓦倉庫がある。こちらは大正9年の築。

 

f:id:IBRG_modeling:20201214115211j:plain

小森敬商店。朝市通りに建つモルタル塗りの看板建築。窓枠は木製に見えるが、建設当初から交換していないかもしれない。

 

f:id:IBRG_modeling:20201214115929j:plain

旧ひこえ堂。ルーバー状のファサードが特徴的。元々はどんな商売をやっていたのだろう?

 

f:id:IBRG_modeling:20201214121307j:plain

伊藤鮮魚店。トタン張りの洋風建築。

f:id:IBRG_modeling:20201214120613j:plain

旧まるみ洋品店。朝市通りの外れに建つ、コリント式オーダーを押し出したスタイルの看板建築。

 

f:id:IBRG_modeling:20201214173803j:plain

あったか小町。これも福禄寿酒造の関連施設だったのだろうか?

 

f:id:IBRG_modeling:20201214174608j:plain

えびや洋品店。近年塗り替えられたようだが営業しているか怪しい。時間が押していたので、こんな写真しか撮れなかった。

古建築巡り 由利本荘市その1(矢島)

矢島地区には戦前に建てられた小ぶりな洋風建築がいくつか現存する。

 

撮影:令和2年7月

f:id:IBRG_modeling:20201115203610j:plain

出羽の冨士醸造元別館。この西隣に本館がある。下見板張りの洋館で戦前に建ったものだと思う。

 

f:id:IBRG_modeling:20201115204306j:plain

一部洋風の家。この通り屋根は至って和風だ。人が住んでいる気配はなかった。昔この手の洋風建築が得意な大工がいたんだろうか?

f:id:IBRG_modeling:20201115204855j:plain

窓をアップで撮影。左官仕上げの装飾がある。

 

f:id:IBRG_modeling:20201115205227j:plain

ハト薬局。他のサイトの写真と比べると看板が外されているので、商売は辞めてしまったのかもしれない。秋田の商家建築と言えば大抵木造の切妻で、店蔵は珍しい。

f:id:IBRG_modeling:20201115205510j:plain

その裏にある洋風住宅。模様入りの磨りガラスが面白い。屋根は後付けだろう。

 

f:id:IBRG_modeling:20201115210418j:plain

矢島郵便局近くの洋館。郵便局近くと言うことは、先代の局舎と言うことも考えられる。

 

f:id:IBRG_modeling:20201115210654j:plain

矢島消防組第四部ポンプ庫。ドイツ壁に右書きで表記されているので戦前からあるんだろう。

 

f:id:IBRG_modeling:20201115211406j:plain

郷内発電所新古典主義のようなスタイルで、東北電力の前身である東北振興電力が昭和15年に建設した水力発電所である。この頃、戦時下の電力需要に備えて各地に多数の水力発電所が建設されていて多くは今も稼働中だ。私はこの建物が由利本荘市現存最古のRC建築だと思うがどうだろう?