盛岡駅周辺は二度の空襲を受けたが、それ以外の地域では古い建物が残る。
撮影:令和2年9月
日本聖公会盛岡聖教会
昭和4年築のRC造である。地方都市に建てられた昭和初期のプロテスタント系教会でよく見られた形だ。
桜城小学校旧玄関
明治41年築の木造校舎を玄関部分のみ保存してある。校舎は昭和57年から59年にかけて解体された。
旧ライト写真館
昭和初期の築。連窓と急な三角屋根が目を引く。
佐藤写真館
昭和初期の築。こちらは今も営業している。旧ライト写真館の向かいにある。
岩手医科大学1号館
大正15年に岩手病院として建設された。設計者は葛西萬司(かさい まんじ)。盛岡の出身で明治36年に辰野金吾とともに辰野葛西設計事務所を設立した。その頃設計したのが、皆さんご存じ東京駅である。
4階部分の増築では飽き足らず、玄関ポーチの上にまで増築している。いずれキャンパスの再開発が行われるが、1号館は保存されるようだ。
同・2号館
昭和7年築で、やはり葛西の設計。病院は機能優先だからかもしれないが、地味なビルだ。
岩手県公会堂
昭和2年に建てられた。設計者は佐藤功一。昭和初期に数多くのオフィスビル、庁舎、公共施設を設計した。ゴシック調の外観は昭和4年築の日比谷公会堂・市政会館に通ずるものを感じる。
旧井弥商店
明治44年頃に建てられた土蔵造の商家。背後には江戸期築の土蔵もある。
菊の司酒造
元和年間に創業した岩手県最古の酒造会社だが、建物は現在地に移転した大正期のもの。
紺屋町番屋
大正2年築の消防組事務所。
ござ九・森九商店
江戸後期と明治期の建物が並んでおり、写真は明治期に建設された部分。防火性を高めるために壁は一部煉瓦になっている。
盛岡信用金庫本店
葛西萬司の設計で昭和2年築。当初は盛岡貯蓄銀行といった。トスカナ式オーダーを並べた、銀行らしい銀行だ。外装はよく原型をとどめている。電線がかぶってしまうのが惜しい。
岩手銀行赤レンガ館
明治44年に盛岡銀行本店として建設された辰野葛西建築設計事務所の作品。赤煉瓦に花崗岩の帯を加えたデザインはまさに辰野の作風である。盛岡銀行は昭和8年に潰れてしまい、岩手銀行の前身である岩手殖産銀行が昭和11年にこの建物を取得して本店を置いた。本店移転後は平成24年まで中ノ橋支店として使われた。
もりおか啄木・賢治青春館
明治43年築の旧第九十銀行本店。設計者の横濱勉は盛岡市出身で、現存作品はほとんど無いようだ。煉瓦造で外壁にはタイルが貼られている。
東北総業事務所
明治45年築。盛岡の豪商・工藤勝四郎の事務所だった建物。以前は左横に木造モルタル塗の洋館があった。
旧石井県令私邸
県令・石井省一の私邸として明治19年に建設された。盛岡市現存最古の洋風建築。
南昌荘
荒川鉱山の経営者である瀬川安五郎の自邸として明治18年に建てられたものが元となっている。所有者を転々としており、盛岡銀行経営者の金田一勝定が取得した明治43年頃に増改築がなされた。洋風の門柱はいつ頃のものだろうか。
旧宣教師館
大正9年築の煉瓦造の洋館。
船山内科クリニック
大正期の築と伝わる内科医院。
小原写真館
大正~昭和初期の築か。
その他、盛岡の建物。